今日はいつもの【今日の給食】のコーナーから飛び出して、食について記事を作っていこうと思います。みなさんは朝、昼、晩と三食きちんと摂ることができているでしょうか?朝練習に間に合わないから食べてこなかった。とか、朝は食べる気分にならないから食べない。僕は偏食だから、好きなものが出てこなければ食べない。また、給食の時間に廊下を歩いてみると、嫌いな食材を勝手に誰かのお皿に移したり、嫌いだからと言って食缶に戻したりしています。三食食べられる環境があるにも関わらず食べないのは、贅沢な話なのか、ふつうの話なのか、はたまた、わがままな話なのか。
そんなことを考えるようになったのは、一昨年前に道徳で扱った題材の『もったいない』ということについて考えたときでした。もったいないのは、いったいなんなのか。学級のみんなで考えたのです。
最初、もったいないと聞くと、何が浮かびますか?と言うと、「食材(命)がもったいない。」と返ってきました。もちろんそうでしょう。実際調べてみると、日本は輸入している食材の量より、食品廃棄をしている量の方が多いのです。信じられない事実です。形が悪いから捨てる。色が悪いから捨てる。戦後を経験した年輩の方が『もったいない』と思わないでしょうか。生徒の中には「世の中があまりに豊かになりすぎてしまうのもどうかと思う。」と言った意見がありました。
話を戻しますが、もったいないのは何かです。どんな順序で意見が出てきたかは記憶していませんが、食材を作ってくれた人の時間、自分のために料理をしてくれた時間など、「人がそこにかけた時間」がもったいないと言う話になりました。時間というのは、それぞれに有限です。それを違う表現でするのであれば、命を削っているということです。もちろんきれい事ばかりではありません。「自分の生活のために食材を作ってる人もいるじゃん。」という意見もあったように思います。
そんな意見が出ると次は当然こんな話になってきます。「食材はそうかもしれないけれど、家のご飯を作ってくれる人は、生活のためじゃないよね。」です。無償の愛情とでも言うのでしょうか。もうこの辺りになると生徒ももったいないものに気付いていました。最後のもったいないは、そこにかけられた「思い」です。
元気に育ってほしい。好きなものを食べさせてあげたい。喜ぶ顔が見たい。南中生だけでなくより多くの人が、一食に関わった人の思いを汲み取ることができるようになったら、本当の意味で世の中は豊かになるのかもしれませんね。
何人の人がこの甚目寺南中学校のHPを読んでいるのか知りませんが、ぜひそんな思いを感じながら明日以降の食事をしてみてはどうでしょうか?きっと残すという行為も、思いのある残し方ができるのではないでしょうか?「いただきます。」「ごちそうさまでした。」が日本の文化であるならば、食について一度は考えたいものです。
【今日の給食】
今日の給食は、手巻きごはん、牛乳、ふのすまし汁でした。ふのすまし汁は、里芋のすまし汁とも、野菜のすまし汁とも言えそうなぐらい多くの野菜が入っていました。手巻きご飯は、巻いている時点で楽しくなってきます。今日も工夫を凝らした料理をありがとうございました。
