生徒が手の中にある小さな命をそっと見せてくれた。やさしく広げられたその手の中にある小さな命,てんとう虫を見せてくれた。朝の陽ざしをそのてんとう虫をあてると,じっとしていたてんとう虫は少し足を動かし,またぎゅっと小さくなり,二回三回それを繰り返した。背の赤が本当にかがやいて見えたてんとう虫。指の先端に向かってゆっくりと歩いていく。指先まできたところで太陽の光にあたった透明な羽をいっぱいに広げて,太陽に向かって飛んでいった。そこまで来ている春に向かって飛んでいった。
昨日で二月は終わり,本当に逃げていくように二月は過ぎていった。その二月のことを如月(きさらぎ)とも言う。今年の二月も一月より寒さを感じてしまったのは私だけではない。寒さが本番になる二月に更に服を着る季節という意味から,きさらぎというようになったという語源もあるそうだ。その二月も過ぎ去り,今日から三月。三月は学校において,別れの時,締めくくりの時。三月七日は卒業式,三月二十四日は修了式。一つの流れが終わりを迎え,それぞれの生徒に新しい時の流れがスタートしていくのが弥生,三月。その弥生は「いやおい」の音が変化したものであり,弥(いや)とはますます,生(おい)は生い茂る季節という説がある。
ガラス越しのあたたかさはもうそこまで来ている春を感じさせ,春を感じると同時に別れの季節と私たちに告げている。